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第5回:便失禁と直腸がんの関係/ 藤田保健衛生大学病院 外科主任教授 前田耕太郎先生

患者さんのQOL向上のため、進化している手術方法

みなさんは、直腸が体のどこにあるかピンとくるでしょうか?直腸は大腸の中で最も肛門に近い部分にあり、肛門のすぐ上から15cm程奥までの所に位置しています。骨盤に囲まれた狭い場所にあるうえ、周囲は膀胱や子宮、前立腺などの重要な臓器に囲まれています。また、生殖器や泌尿器に関連した自律神経が通っているため、直腸がんの手術は結腸がんなど他の大腸がんと比べて難しいことで知られています。

直腸がんの場合、がんの発生場所や進行具合などを考慮して手術方法が決定されます。手術方法としては、直腸と肛門を切除する腹会陰式直腸切断術(マイルス手術)と、肛門の筋肉である肛門括約筋を温存して直腸を切除する肛門括約筋温存術(直腸前方切除術)の2つに大別されます。また、お腹からの手術ではアプローチの方法によって開腹と腹腔鏡を使った手術とがあります。

このうち腹腔鏡下で行う場合は、腹部に 2mmから数cm程度の穴を数カ所開けて、そこから内視鏡や専用の器具を挿入して行うため、より低侵襲な手術とされています。また、進行がんや下部直腸(肛門に近い部分)にできたがんが対象となる場合は肛門を残さないので、術後に人工肛門の造設が必要です。

直腸前方切除術では、がんが発生している部位が直腸S状部や上部直腸の場合、「高位前方切除術」や「低位前方切除術」が行われます。直腸の腹膜反転部より上で腸をつなぎあわせる方法が高位前方切除術で、腹膜反転部より下でつなぎ合わせる方法が低位前方切除術です。また、下部直腸にがんができて、肛門と直腸の付着部付近で直腸を切離、吻合する方法(肛門から2cm程度直腸を残す)が「超低位前方切除術」です。さらに、最近では「肛門括約筋間切除術(ISR)」という方法も開発され、従来なら人工肛門を作らねばならなかった、肛門管近傍に発生したがんにも対応することができるようになりました。この肛門括約筋間切除術(ISR)は、その名の通り肛門の内側の筋肉である内肛門括約筋を一部切除し、外側の筋肉の外肛門括約筋を温存する術式で、患者さんの排便機能を可能な限り維持することを主眼に開発されました。

以前の直腸がん手術では、直腸と肛門を切除して人工肛門にすることが多かったのですが、最近は技術の進歩により、手術後も可能な限りご自身の排便機能を維持できるよう肛門括約筋を残す術式が注目されています。

とはいえ、直腸切除後の影響を完全に無くすのは難しく、切除した後に何らかの排便障害が起こることは珍しくありません。切除した領域が狭く、部位が肛門から離れれば離れるほど排便障害は起こりづらく、軽症化しやすいことがわかっています。直腸前方切除術の中では、高位前方切除術→低位前方切除術→超低位前方切除術→肛門括約筋間切除術(ISR)の順番で影響が出やすくなっていきます。

便の貯留能力と神経損傷・括約筋の状態が決め手

ではなぜ、直腸前方切除術を受けると排便障害などの影響が出ることがあるのでしょうか。術式ごとにそれぞれ理由が異なりますので、簡単にご説明しましょう。

●肛門括約筋間切除術(ISR)
 内肛門括約筋は自律神経で支配され、意識しなくても肛門を締めることのできる筋肉です。外肛門括約筋だけで排便機能を維持できるようになるためには、ある程度時間がかかるため、切除した当初は便失禁が起こりやすい状態といえます。また、内肛門括約筋を切除する際に、神経損傷が起こる可能性もあり、さらに直腸が取られることで便を貯留する能力が減ることも考えられます。

●低位前方切除術(および超低位前方切除術)
 肛門括約筋をそのまま残す術式なのですが、お尻の締まりについては、手術前より機能が落ちます。残っている直腸の領域は肛門括約筋間切除術(ISR)より少し多く、そのため便を貯留する能力も高くなります(肛門から2cm以内の直腸を残す超低位前方切除術は、残る直腸の領域が低位前方切除術より少なくなる)。ただし、神経損傷の可能性は肛門括約筋間切除術(ISR)の場合と同じです。

●高位前方切除術
 低位前方切除術等と同様に、肛門括約筋がそのまま残っていること、また下部直腸はそのまま残っているため便を貯留する能力も一番高く残っている術式です。ただ、神経損傷の可能性は上記の術式と変わりません。

直腸がんの手術では、直腸の周りにある直腸間膜にも影響を与えます。直腸間膜のすぐ外側には、排便に関係する自律神経が通っているため、神経損傷にもつながる場合があります。神経を損傷すると、排便機能に影響を及ぼしますが、時間の経過とともに機能が回復する患者さんも多くいらっしゃいます。

また、直腸がんの患者さんには、術前・術後に放射線治療を行うこともありますが、放射線もまた筋肉や神経にダメージを与えることがあり、その結果、排便機能に影響を及ぼすことがあります。

排便障害(便失禁)の症状と治療法について

直腸切除後に起こる排便障害で一番顕著なのは、排便回数の増加と分節排便といって、例えば朝1時間の間に4~5回にも分けて便が出るなどのケースです。また、便を貯留する能力の低下による切迫性便失禁や、漏出性の便失禁で特に夜寝ているとき知らぬ間に便が漏れてしまうといったケースもよくみられます。

いずれの場合も、固形便のときはそうでもないのに、下痢になると漏れやすいという特徴があります。術後の化学療法を受けている患者さんは、下痢や軟便になることが多いため、化学療法の副作用ではないものの、結果的に便失禁を経験される方が多くいらっしゃいます。

肛門括約筋間切除術(ISR)を受けた患者さんの5人に2人はこうした何らかの排便障害を訴えていると言われています。

なかには便失禁がひどいために人工肛門を造設する患者さんもいらっしゃいますが、多くの場合、術後3か月くらいから徐々に改善し始め、半年から一年の間でかなり症状が落ち着きます。2年以内で8割程度の患者さんが改善しているという実感があります。

便失禁の治療法については、一般的な便失禁の治療と同じで、まずは保存的療法からスタートします。多くの場合、保存的療法によって症状の改善が見られますが、十分な症状の改善を得られなかった患者さんには、2014年4月から保険適用になったSNM(仙骨神経刺激療法)という新たな選択肢も加わり、患者さんの症状にあった治療を選べるようになりました。

不調はどんどん訴えて~患者さんへの医師からのメッセージ

これまでがんの患者さんは、「命が助かっただけで有難い」と考える方が多く、手術後に便失禁などの排便障害をきたしても悩みを訴える患者さんは多くありませんでした。

しかし、現在では直腸がんを含む大腸がんは女性のがんで1番目、男性でも3番目に多いと言われており、とても身近な病気だと言えます。また、医学の進歩によってがんの早期発見が可能となり、手術も含めた多くの治療法が開発されてきました。一方で、便失禁などの排便障害に悩む患者さんがおり、その多くは、便失禁が治療可能であるという事をご存じありません。便失禁を含めた排便障害は治療可能な病気です。少しでも毎日快適に暮らしていけるように、あきらめず、我慢せず、専門の医師を受診してください。

総監修自治医科大学医学部 外科学講座 消化器外科部門 味村俊樹先生